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シドニーで2度、鎖骨骨折した話

2012年にオーストラリアに移ってきてから数か月、学生ビザでの滞在ということで、当時2週間あたり40時間までしか働けない制約があったため職探しに苦労しましたが、幸運なことに、シェアメイトのつてで、パートタイムの経理職に就くことができました。勤務地は、サーフィンや海水浴を楽しむ人たちに人気の、マンリー・ビーチ(”Manly Beach”)からバスで10分ほどのところです。

その頃、私はシドニー中心部からすぐの、ダーリング・ハーバー(”Darling Harbour”)裏のアパートで、他8名のシェアメイトたちと暮らしていたのですが、シェアハウス、シドニー中心部にある学校、勤務地の3箇所を、自転車とフェリーで行き来する生活が始まりました。オペラハウスのあるサーキュラー・キー(”Circular Quay”)の埠頭まで自転車で行き、そこからフェリーでマンリー埠頭まで自転車と共に渡って、再度、自転車でマンリー・ビーチと公園を抜けて、職場まで向かうのです。片道、約1時間といったところです。

しかし、フェリーは乗っていて気持ちがよいものの、やはり通勤に時間がかかります。天気の悪い日は、自転車に乗れず、バスを使わなければならないこともあります。そんな折、またもやラッキーなことに、職場を紹介してくれたシェアメイトを介して、職場に比較的近いシェアハウスに引っ越しすることができました。勤務地へは自転車で行けます。授業のある日だけシドニー中心部へ出ればよくなったので、だいぶ移動の負担が減りました。

その年のクリスマス・イブ、私は元シェアメイトたちとクリスマスを祝うため、古巣の、ダーリング・ハーバー裏のシェアハウスを訪れていました。引っ越ししてからまだ数週間しか経っていないとはいえ、それまで毎日寝食を共にしたシェアメイトたちとの再会は、久しぶりに家族に会うようで、積もる話にお酒もすすみます。多国籍なシェアハウスだったので、それぞれの出身国の言葉で、「メリー・クリスマス」と書いた紙を壁に貼って飾ったりして、とても楽しいひと時を過ごしました。

夜10時頃だったでしょうか?その頃には小雨が降っていましたが、そんなに雨足も強くならなさそうなので、お暇することにしました。順調にフェリーに乗れれば、日が変わる前に新しいシェアハウスに帰りつけます。フェリー乗り場までは自転車で向かいます。

元シェアメイトの一人が、「夜も遅いし、泊まっていきなよ!」と言ってくれたのですが、私は「大丈夫、だあーいじょうぶ!」と、せっかくの誘いを断って帰ることにしました。お酒を飲み始めると調子に乗ってしまう私ですが、その日は酩酊するほど飲んでいませんし、そのシェアハウスのリビングのソファでではなく、自分のベッドで眠りたかったのだと思います。それに、シドニー市内は、自転車専用レーンもいたるところにありますし、街灯がそこかしこにあって明るいので、夜でも比較的安全なのです。

ほろ酔いで上機嫌だった私は、「バーイセコー、バーイセコー♪」と鼻歌を歌いながら、通い慣れた道をルンルン気分で走っていました。道は濡れていますが、雨はやみかけていて傘をさしている人もまばらです。

そして、坂道にかかった横断歩道を渡っているときに、事件は起こりました。突然、ぐらっと、視界が右に傾いたのです。

ゆっくり走ってはいたのですが、なんと、小雨で濡れた路面につるっ!と自転車のタイヤが滑ったのです。そして、右肩を強打しました。左側が坂の上、右側が坂の下、という地形だったので、より右肩にかかる衝撃が強かったかもしれません。頭も軽く打ったようですが、痛みはありませんでした。

大丈夫?!と声をかけてくれる二、三人の歩行者たち。何が起こったのか、まだ事態を把握しきれていない私。少し曲がってしまったサドル。

しかし、起き上がることができました。右肩は痛いですが、足に異常はありません。歩けそうです。

「大丈夫でーす。サンキュー!」と周りの人たちに言い、自転車を押しながらサーキュラー・キーのフェリー乗り場へ歩いて向かいました。20分ほどかかったと思います。

フェリーの中で落ち着いて状況を確認しました。曲がってしまったサドルは、まっすぐに戻すことができました。服は少し汚れていますが、人目をひくほどではありません。しかし、右肩が異常に痛いです。

マンリーでフェリーを降りてから新しいシェアハウスまではけっこう距離があります。歩くと、おそらく1時間以上かかるでしょう。なので、痛みを感じながらも自転車をこいで帰ることにしました。海岸沿いの自転車レーンを走り、暗い公園の中を、自転車のライトを頼りに抜けていきます。自転車のハンドルを握る右腕に力が入らないので、いつもより慎重に、ゆっくりと進んでいきます。もう、自分自身に悪態をつきながらでないと、やっていられません。

新しいシェアハウスに着いた頃には、もう日付も変わる頃だったと思います。しかし、シェアメイトの一人がまだ起きていました。彼に自転車で転んじゃった、と報告し、そのまま就寝しました。

翌日、目を覚ますと部屋の外から話し声が聞こえてきました。まだ肩が痛いなあと思いながらリビングに行くと、前日、帰宅後に話したシェアメイトと、たまたま訪れていたシェアハウスのオーナーの友人が深刻そうな面持ちで話していました。

私が、おはよう、メリー・クリスマス!と二人に挨拶をすると、

「昨日、自転車で転んだんだって?」

「肩と頭を打ったって聞いたけれど、痛くないのか?」

と二人から質問攻めにあいました。

頭も軽く打ったみたいだけれど、大丈夫。だけど、右肩がものすごく痛いんだよね、と報告すると、今すぐ病院に行け!と怒られました。

その日はクリスマス。祝日ですね。当然、緊急外来しか開いていません。

シェアハウスのオーナーの友人が車で病院まで送ってくれ、診察の間も付き添ってくれました。そして、レントゲンを撮ると、右の鎖骨の先が見事に折れていました。頭も検査しましたが、こちらは問題なさそうです。

痛みがひどかったものの、まさか骨折しているとは思いもよらなかったので、正直驚きました。そして自分でも、骨折していてよく痛み止めもなしに眠れたものだなと感心しました。お酒の力でしょうか?

一か月おきくらいの間隔でレントゲンを撮りましたが、お医者さんからは「なかなかくっつかないねー。」「骨がつながりそうになかったら、手術かな。」と言われ、手術は嫌だ!と通院のたびに怯えていました。そして長いこと、右利きの私は、左手でみみずの這うような文字しか書けなかったり、右腕を上げられず処理することができないので、右脇の毛はボーボーになったりしていました。

幸いなことに、数か月後のレントゲン写真で骨がつながりそうな兆候が見られたので、手術はしなくてよいことになりました。しかし、その後、通院のたびにレントゲン写真を撮ったのですが、いつになっても骨がきちんとつながりません。

そして、怪我から一年が経った頃、ちょうど日本に一時帰国していたので、日本のお医者さんの意見も聞いてみたいと思いレントゲン写真を撮りに行ったら、ようやく骨がくっついていました!シドニーに戻ってきた後の通院でその事を報告すると、シドニーのお医者さんからも、もう大丈夫だよとお墨付きをいただくことに。

完治まで一年もかかったのは、おそらく、当時、大学に通いながらパートタイムで働いており、分厚い教科書やらパソコンやらをリュックで担いで学校や職場に通う毎日だったので、肩に頻繁に負担がかかっていたのが原因だと思います。もちろん、自転車には乗れず、徒歩とバスでの移動です。

そして、完治からたったの一か月後。

空手教室に行くと、その日は受け身の練習でした。もうすでに普通の日常を送れるようになっていましたし、空手の稽古にも復帰していたのでたかをくくっていたのですが、やってしまいましたね。

もともと苦手だった受け身なのですが、マットもあるし平気だろうと思ったのです。一回目は大丈夫だったのですが、二回目に受け身を取った瞬間、右肩に重心がかかり、激痛が走りました。その後、右腕が持ち上がらないのです。

翌日病院へ行きレントゲン写真を撮ると、また折れていました。前回と全く同じ、右鎖骨の先端です。親や日本にいる友人に報告すると、呆れられたり、笑われたり。

幸いなことに、二度目の骨折は一か月ほどですぐに骨がつながりました。その頃には大学を卒業していたので、重い荷物を持ち歩く生活から解放されていたのがよかったのか、それとも、その空手道場の先生が、針治療をほどこしてくれたのが効いたのか、詳しい理由はわかりません。

改めて考えると、ヘルメットを被っていなかったのに頭に重症を負わずに済んでよかったです。そして、雨で路面が濡れていたのが災いしたのかもしれませんが、ほろ酔いでも酒酔い自転車運転は、本当に危険!皆さんも、飲んだら乗るな、でお願いします。

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