3か月の短期語学留学を終え、「またシドニーに戻ってくるぞ!」と決心した私は、渡豪準備と身辺整理を済ませ、半年後に再び、シドニー-キングスフォード・スミス国際空港に降り立ちました。2012年6月のことです。
前回は一か月間のホームステイが語学学校のコースとパックになっており、留学代理店がホームステイ先の手配まで事前に行ってくれたので、当面、滞在先の心配はありませんでしたが、今回はそうはいきません。
日本からシェアハウスを探すのは困難なので、取り急ぎ一週間、バックパッカーズという安価な宿泊施設に泊まりながらシェアハウスを探すことにしました。予約したのは、シドニー中心部からほど近い、キングス・クロス(”Kings Cross”)という町の、バックパッカーズです。
一日でも早く長期滞在先に移りたい私は、翌日から精力的にシェアハウス探しを始めました。シドニーのシェアハウス情報を扱っているウェブサイトでよさそうな物件を探し、オーナーと下見の約束を取りつけ、物件を見に行くのです。合間に、学校のオリエンテーションや携帯電話の契約など、こまごまとした用事もあり、宿に戻る頃には毎日、けっこう疲れていました。
そんなある晩、バックパッカーズ内の喧騒を離れ、外でリラックスしたくなった私は、コーラのペットボトルを手に、バックパッカーズ前のちょっとした広場で、花壇の横に腰を下ろしていました。まだ夜も若い、7時頃だったと思います。
ipodで洋楽を聴いていると、視界の片隅に、私と同じようにコーラのペットボトルを手に持った、ラテン系の男性が、軽快な足取りで近づいてくるのが見えました。年の頃は30代前半といったところでしょうか。
彼は私の横に腰を下ろし、「何を聴いているの?」と話しかけてきました。曲名を教えると「僕もそのバンド、好き!」と、自分の携帯で同じバンドの他の曲を流し始めました。
彼はもともとブラジル出身で、その辺りに住んでいるとのことでした。名前は忘れてしまったので、ここでは仮にロベルトと呼ぶことにします。曲に合わせて体を揺らし、かなりご機嫌です。
世間話をしていると、ふとロベルトが「コーラ飲む?」とコーラのペットボトルを差し出してきました。「私もコーラを持ってきたから、いらないよ。」と手に持っていたペットボトルを見せると、「でも、僕のは特別なコーラだから。」と言います。
なんの変哲もない、ありきたりなコーラのボトルなのにと疑問に思った私ですが、目の前に差し出されたペットボトルからはかすかにウィスキーのにおいがします。理由を聞くと、なんでも、パーティからの帰宅途中で、飲み足りないから、コーラのボトルにウィスキーを足したものを飲みながら歩いてきたとのことです。やけにノリノリなのはラテン系だからかと思っていましたが、もしかしていい具合に出来上がっているからではと思い始めました。
やたら、ウィスキー入りのコーラを勧めてくるロベルトに、「酔っぱらうと、バックパッカーズの二段ベッドから落ちちゃうかもしれないから、遠慮しておくよ。」と一生懸命断っていると、彼の携帯に電話がかかってきました。
隣で大声で話す彼の言葉から察すると、何か約束事をしているようです。「うん、明日の朝で都合いいよ。住所はすぐにテキストで送るから。」と電話を切りました。
「僕たちのアパート、今、一室空いていてさ、シェアメイト募集してるんだよね。今電話をかけてきた人、明日の朝、うちのシェハウスに下見に来るんだってさ。住所を確認したいっていうから、テキストメッセージで送って教えてあげないとならないんだけどね。」ということでした。
しばらくシェアハウスについて話していると、「君も、シェアハウス探しているんだっけ。あ、うちのシェアハウスに住む?」と聞いてきました。
あれ、先ほど、シェアハウスに下見をしたいという人から電話が来たことを、すっかり忘れている?
他の地域でシェアハウスを探しているんだよ。それより、明日、下見に来る人いるんでしょ?と断ると、「あ、そうだった!」と、また音楽を聴き始めました。
数曲聴いた後でもまったく住所を送ろうとする気配がないので、気になった私は、「さっき電話で話した人、テキストメッセージを待っているんじゃないの?」と聞いてみました。「そうだった!サンキュー!」とロベルト。
携帯でしばらく真剣にメッセージを打っていたロベルトですが、おもむろに、「あのさあ、手伝ってくれない?」と頼んできました。ここで気づきましたが、ロベルトの目はうつろで半開き。指先の動きもままならず、うまく携帯のボタンを押せていないのです。
一瞬ためらいましたが、まあ、この後用事があるわけでもないので、いいよと引き受けると、うれしそうです。
「え?部屋番号は何番?」「もう一回、ゆっくり言って!」と、ろれつの回っていない彼の英語を聞き取りながら、なんとかロベルトの携帯で彼の家の住所を途中までタイプしたのですが、街の名前の入力のところまでたどり着いてからが大変でした。
「ダブリュー・ダブリュー・オー・エル・ダブリュー・オー・エム・ダブリュー・オー・エル・ダブリュー・オー」と、街の名前の綴りを教えるロベルト。
「え?wwolw…?」と必死で入力する私。
ロベルト:「違う違う、だからダブリュー・ダブリュー・オー・エル…」
私:「もう一回言って?wwol….?」
ロベルト:「違うよ、ダブリューの後はオーで…」
私:「ん?初めのダブリューの後、もう一回ダブリューって言ったやん?」
ご存じの方もいると思いますが、英語圏では、同じアルファベットや数字が2個並ぶとき、綴りを説明する際に、「ダブリュー」を使って、後に続くアルファベットが2つ続くことを意味するのです。
例えば、電話番号が1800から始まるとしたら、「ワン・エイト・ゼロ・ゼロ」とは言わず、「ワン・エイト・ダブリュー・ゼロ」と言います。
そんな知識は持ち合わせていない、まだ英語のたどたどしい私と、酔っぱらって思考回路の機能していないブラジル人。
後でわかったのですが、ロベルトが住んでいたのは、ウールームールー(”Wooloomooloo”)という街でした。
土地勘のない私が、そんな妙な名前の街の存在を知る由もなく。
どれくらい携帯と葛藤したでしょうか。「これで入力合ってる?」と彼に携帯の画面を見せて確認すると、「そうそう!そんな感じ!」と。
え、そんな感じって、適当すぎる。大丈夫?と思いましたが、おそらく、もしたどり着けなかったら、明日、シェアハウスの下見にくる男性から、再度ロベルトに電話がくるだろうと、そのままにしておきました。
「あ、もうこんな時間だ!帰らなくちゃ。」と、ロベルトが立ち上がりました。
気を付けて帰ってね、と手を振ると、「そうだ。お礼に携帯あげるよ。」と、今までメッセージ入力に悪戦苦闘していたその携帯を、私に手渡してこようとしてきました。
気軽に人に携帯をあげちゃだめだろう!それに、明日、どうやって連絡を取るんだ?
「ノー、ノー!あなた携帯必要でしょ!持って帰らないとダメだよ!」と断ると、「いらない?そう?じゃあ、持って帰るか。」と、ポケットに携帯をねじ込んだのを確認して一安心。
バイバーイ、と近くの木陰で立ち〇ョンして立ち去ったロベルトでした。
あの後、ロベルトはきちんと家に帰れたのか、この夜のやり取りを覚えているのか、そして翌日のシェアハウスの下見は予定通り行われたのか。
神のみぞ知るところです。